沢村栄治はプロ野球界:東京ジャイアンツにおいて当時:150キロを超える豪速球投手で多くの記録を残し、天才と呼ばれていた事は、前回:その1で述べたとおりであった。しかし沢村投手が東京ジャイアンツ入団前の京都商業高校17歳の昭和9年に静岡・草薙球場においてアメリカ大リーガー選抜チーム
(本塁打王:ベーブ・ルースや鉄人:ルー・ゲーリック参加)において魔球ドロップを投げ、多くの三振を奪い、アメリカ大リーガーを奮い起こしたのだった。
魔球ドロップ:通常のドロップ(落ちるカーブである。)とは異なり、沢村投手が投げるドロップは、打者の肩側に向かって150キロを超える豪速球で投げてこられ、直前でバッターボックス内のホームプレートを直撃するというモノスゴイものであった。
東京ジャイアンツ入団前:大リーグオールスターズを相手の17歳:沢村投手の快投ぶりは、「日本の少年投手」”スクールボーイ・サワムラ”は、ベーブ・ルースを三振にとった少年として、大日本東京野球倶楽部(愛称:東京ジャイアンツ)は結成にあたり、日米野球の功労者:沢村栄治を筆頭投手に挙げ、昭和10年アメリカ遠征に行ったのでした。何処のアメリカの球場へ行っても「サワムラ!「サワムラ!」と人気で日系人ばかりか、多くの人種の人々の人気を呼び「噂のミラクルボーイ」と注目を浴びたそうであった。
アメリカ遠征中の沢村投手に弱点がアメリカ大リーガーにおいて発見された:それは、沢村投手が魔球ドロップを投げる時に、沢村投手の口元のゆがめると言う癖を見破られ、打たれ続け惨敗続きの日々を送ったのでした。そうしたアメリカ興行中おいて沢村投手は、走りこみの特訓を止めずに鍛え続け、必勝法をあみ出したのだった。ソレは大リーガー投手カール・ハッベルの真似投法だったのです。そうだったのです。!
いかにも、「巨人の星」の主人公:星飛雄馬の投法はここからか?と思わせる様な投法(大リーガー投手カール ハッベル)からヒントを得て沢村投手は、大きなバックスイングと左足を高く上げる事によってテコの原理による150キロを超える豪速球を更にあみ出し、アメリカ本土を離れ帰国目前としていた東京ジャイアンツは、ハワイのホノルル・スタジアムにて「伝説の投手:沢村」が誕生したのであった。↓クリック応援よろしくお願いします m(・ω・)m 


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